約200年前「大間々」は町を名乗ることを江戸幕府より許されました。
そのことを祝ってこの地の有力者5名が金を出し獅子頭一対を江戸の職人に作らせました。そのうちの1人が新井宇兵衛です。
白檀の木で作られた獅子頭は今でも大間々祇園祭のシンボルとして大切に扱われています。大間々祇園祭は2029年には400年祭を迎えます。
新宇商店は、当初は肥料や飼料などを扱う店でしたがやがて瀬戸物屋となり、太田の中島飛行機(現SUBARU)や古河鉱業(現 古河機械金属)が経営する足尾銅山などを顧客としてきました。 先々代の宇四郎は貨車で大量の陶磁器を仕入れ、米軍の将校などにも販売していたと伝え聞いています。
その後、宇四郎が瀬戸物屋から手を引く一方、もう一つの商売であった火薬類の販売が順調だったこともあり、蔵の中に積み上げられた陶磁器はそのままで残されることになりました。
初代新井宇兵衛、その後宇八が二代続きこの頃から屋号を新宇「あらう」と呼ばれるようになったようです。
宇八には男の子が生まれました。宇八は息子が俺ほど偉くなっては困ると、名前を八の半分の四にして宇四郎と名付けたそうです。その宇四郎こそは私の祖父です。
私の父は敏夫、そして現在の新宇商店の当主が私、新井規夫です。
こうして200年にわたって「新宇(あらう)」はこの地で存続してきました。
「私は新宇を名乗って6代目です」と よく自己紹介にこのフレーズを使っています。
2021年4月に、蔵の一つを改装したカフェをオープンしました。 1916年(大正5年)にこの蔵を建造した新井宇八にちなんで、「cafe 蔵八」と名付けました。 改装にあたっては、100年前の蔵を次の100年につなぐため、できるだけ手を加えないという方針で工事が行われました。 屋根裏の大きな柱梁構造、土間や土壁の一部が100年前のまま残されていますので時の流れを感じながらゆったりとした気分でお過ごしください。
cafe 蔵八では、コーヒーや紅茶を蔵出しのカップ&ソーサーでご提供しています。 色や柄だけでなく、作られた時代や場所もさまざまな陶磁器たち。 それらを眺めるだけでも楽しいひとときになるはずです。
cafeに続き2023年5月には、蔵の一つを一棟貸しの宿として再生しオープンしました。また別の蔵をshopとしてリニューアルしました。
蔵宿「銅の夢」は天井や梁、大谷石を積み上げた壁などはそのままに、居住性を確保するため蔵の大きな建物の中に2階の部屋を作り込む方式で造りました。また建具は昔のものを随所で再利用し少しでも面影を残す工夫を施しています。またshopは蔵の空間をそのまま生かし、飾り棚は蔵の内部造作をそのまま使っています。
建築から100年近くが過ぎて外壁が剥がれ落ちるようになった蔵、全部で5棟ある蔵を修復して再生するか取り壊すかの判断を迫られることになりました。銅街道沿いに発展した大間々の歴史ある街の姿をとどめ、地域の財産として、訪れる人の街歩きが始まる施設として再生できればこの先も地域の中でここが愛される存在になるのではと考えてこれまでに無いような新たな施設づくりに取り組むことにしました。
国道沿いの薬医門造りの表門から入って、母屋の庭を通り、茶室に抜ける露地門を潜りさら庭を進むと母屋から家蔵への渡り廊下を横切り、土蔵が正面に4棟並ぶ中庭に出てきます。ここには大釜、陶磁器などが居心地よく置かれ、手入れの行き届いた赤松やちょぼひばが植えられ、昔から使われてきた手押しポンプの井戸がここの歴史を感じさせてくれます。
その居心地の良い空間に2023年5月新たに六角堂を建設しました。薪ストーブが置かれた1階はホールとして、大きな書架に2000冊の蔵書、音響設備などを備え多目的な用途で使えます。吹き抜けの2階には回廊型のギャラリースペースを配置し、憩いと共に知的な創造が可能な空間を意識して造りました。これから母屋の利用なども進めて旧商家の面影を残した施設づくり、憩いと創造の空間を実現して行きたいと考えています。